ジャムと佃煮がつながったとき、料理が楽しくなってきた

本日もnote供養で失礼します。

 

料理って面倒だけどちょっとした発見は楽しいですよね。

 

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先日ブルーベリーを分けていただいたので、ジャムにしていただきました。

 

そういえば、昨年もブルーベリーをいただいてジャムに初挑戦したのですが、加減がわからず、火が入った状態でもかなりとろみを感じるところまで煮詰めてしまった結果、冷ましたときにはカッチカチに固まってしまうという失敗をやらかしたことを思い出しました。

仕方ないので、私はキャンディを作ったのだと開き直りつつ、甘酸っぱい塊を延々舐め続けるという、苦い思い出です。

 

その熱りもすっかり覚めたころ、思いつきで京都に一人旅へ出かけ、そこで出会った玉露が美味しすぎて、良い茶葉を買って帰ってきました。

もともとお茶は好きでしたが、自分用なのに贈答用かな?くらいの金額をかけたのは初めての経験です。

貧乏性なもので、お金をかけてしまうと、出涸らしすらも、捨てるにはもったいなく感じるんですよね。

かといって、乾燥させて掃除とかに使うのも違うな、と。

やっぱり、どうにか余すことなく味わいたいと思って調べたところ、佃煮のレシピが見つかりました。

茶葉を佃煮にするという発想が自分にはないものだったので興味がそそられて、早速作ってみることにしたのですが、そこで、あることに気づいたのです。

 

佃煮ってジャムと一緒じゃない?

 

素材を糖分(砂糖・みりん)とともに火にかけて煮詰めるところ、そのうちにとろみが出てくるところなんて、まるっきり一緒!

 

この2つの食べ物が頭の中で結びついてくれたおかげで、まだ水分が残ってるうちに冷ました方がいいということに気づくことができました。

もちろん冷蔵庫に保存してもカチカチになることなく、スプーンですくって数日間美味しく食べ続けられました。

 

他にもカラメルソースを作るときにどのタイミングで熱湯を注げばいいかとかも感覚的にわかるようになりました。

 

それもこれも、昨年ジャム作りに大失敗したおかげです。

 

失敗したから印象に残るし、やっぱりなんでそうなったか気になって調べたりとかもしたし、一発で成功するよりも誘発される経験が多くなるんですよね。

 

もちろんじゃあたくさん失敗しましょうって言ってしまうのは乱暴な結論になってしまいます。

仕事とかの責任のある場ではやっぱり失敗したくないなって思いますし。

 

たとえば、この料理だって誰かにプレゼントするつもりで作りはじめていたら、もっとショックを受けて、もう2度とジャムなんて作らない!って思うかもしれません。

そうなっていたら、なぜ失敗したかなんて深追いしないし、ショック度合いによっては料理自体をやめてしまう可能性もあります。

 

成功しても失敗しても自分にしか影響しない=小さい行動からはじめるということってこういうことなのかな?と、ふと思いました。

 

小さくはじめるって言葉、ビジネス系のYouTubeとか見てるとよく出てくるんですよね。

言ってることはなんとなくわかるけど、多分実感を伴ってなかったのが、料理を通して手触りが感じられる言葉になったように思います。

(2020年に書いていたnote(閉鎖済)より転載)