ルールの中に見えない但し書きを作ってしまう

最近ブログがめっきり短文になってしまっているな、とかさすがにいい加減すぎないか?と悩んでいます。

2020年頃はもうちょっと書くことに対して意識が高かったようなので、反省も兼ねて当時の記事を置いておきます。

 

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今日は少し疲れが出ているので、毎日更新ちょっとムリかな、なんて思いながらも、なんとなくモニターに向かっています。

以前も書きましたが、noteについては自分の中で「毎日書く」ということしか決めずに、30日間毎日更新を達成しました。

そして、今のところはその方針を変えずに続けています。

そこに新たな要素を追加して試してみる、という方がいいような気もしたのですが、30日間でしっかり習慣になったなと感じる段階が思ったよりもミニマムな段階で止まってしまったので、ただただ毎日何かを書くことにしました。

 

以前何かで習慣をつけるのに必要な日数は21日間(3週間)である、と知りました。

しかし、私は今「毎日noteにログインしてエディタを開く」というところまでは自然にできるようになったのですが、「何か書く」の部分に未だ苦しさを感じたりします。

今日みたいに疲れを感じている日は、特に。

では、疲れていなければスラスラ書けるのかといえば、原因はそこではないと感じています。

 

最初はインプットが足りないのだと思っていましたが、1年前と比較すると本も読んでいるし、YouTubeなどの媒体からも情報を得るようになって、量自体は確実に増えていると思っています。

また、インプットよりアウトプットの割合が多い方が良いという話を聞いたので、アウトプットのやり方が合わないのかな、とも考えました。

 

毎日書くというシンプルな目標の何がダメなのか、自分なりに考えてみて行き着いたのは、その目標の裏には但し書きが存在したということです。

 

但し書き

「但し」という語を書き出しに使い、前文や本文に対して、条件・例外・説明などを付け加えた文。(三省堂 大辞林 第三版)

 

 

今回自分の中から発見したのは「ある程度まとまった量がある文章でなければならない」という縛りです。

 

私はnoteとは別にTwitterもやっています。

1ツイート140字の制限があるTwitterとわざわざ分けて運用するのだから、字数制限のないnoteはある程度の長さがないと格好がつかないと考えて、無意識のうちに「毎日何か書く。ただし、それなりな文字数を書くこと」という目標にしていたのでした。

 

これ自体は悪い目標ではないのですが、今自分では見つけられていない変なこだわりとかがまだあるような気がするので、結局なんでもいいとしながら、実際はなんでも良くないという窮屈な状況に陥ってしまっているように思います。

 

言い方を変えると、自分で自分が何かをアウトプットするという行為に対して、心理的安全性を保証してあげられていない、といったところでしょうか。

 

noteの編集画面には右上に文字数カウンターが設置されているのですが、今ふとみたら1000文字を超えていたので、ちょっとホッとした気持ちになりました。

今までも1000文字に満たない投稿はしているのですが、これまでもそういった小さなところに引っかかっていたのかもしれません。

 

こうして自分の心の内を言語化すること自体も、アウトプットの重要な役割であると思いますので、また別の勝手に設定された但し書きを見つけたら書いていきたいと思います。

 

(2020年に書いていたnote(閉鎖済)より転載)