私は「量」より「幅」が欲しいのかもしれない。

今日は少し大変な1日だったので、過去のnote供養で更新することにします。

 

「ゆたか」とは。

今見ても面白いテーマだなと思ったので、こちらでも読んでもらえると嬉しいです。

 

***

面白そうなタグを見つけたので、久しぶりにnoteを書いてみようと思った。

 

「ゆたか」

このタグではひらがなで書かれているが、もし漢字で書くとしたら、どうだろう?

パッと思いつくのは、やはり「豊」という字ではないだろうか。

 

だが、私は今「裕」という字を当てたいという気持ちになっている。

 

 

 

「豊」と「裕」のイメージについて

漢字は一字に多くの意味を込められているので、そうとも限らないのだが、まずは私が個人的にこの漢字の違いをどう受け止めているかを書いておこうと思う。

 

はじめに「豊」という字について。

豊富、豊作、豊穣といった熟語に使われるため、量の多さ、密度が高いというか、充ちているというイメージがある。

 

そして「裕」という字について。

余裕、寛裕、裕度といった熟語に使われるため、範囲の広さ、幅があるというか、ゆとりがあるというイメージだ。

 

 

 

目に見える「豊」と目に見えぬ「裕」

もっと抽象的な話になるが、私がこの二文字に感じる一番の違いは「測定できるか」というところである。

 

上に書いたとおり、「豊」は量の多さをイメージさせるので、客観的に見てもそれが豊かであるかないかが分かるように思う。

例えば、ABを並べたときに、どちらがより「豊」かと聞かれたら答えることが可能だろう。

 

一方、「裕」も範囲の広さという測定可能なもののように思えるのだが、客観的な数値というよりは、どう感じるかが基準になっている気がする。

つまり、Cというものを目の前にしたとき、それが「裕」かどうかは答える人によって異なるということだ。

 

 

 

別腹は、やっぱり物理だから

もう少し別の角度から「豊」と「裕」を表してみたい。

例えば、料理なんてどうだろうか。

 

「豊」を料理で表すと、大食いチャレンジに出てくる、こぼれ落ちそうなほど目いっぱい盛り付けられていて、絶対満腹にしてくれると一目でわかる感じだ。

 

「裕」を料理で表すと、コース料理の中の一品のように、皿は総面積の半分以下しか使っていなくて、もう一口食べたいなと思ったときには、すでに間食しているイメージである。

 

もちろん料理だからお腹いっぱいになったほうがいいとは思うけれど、どうせならデザートも楽しみたい。

それができるのが「裕」だと、私は思う。

 

 

「豊」も「裕」もあるに越したことはないけれど

そうはいっても量がものをいうときもあると思う。

例えば「知識」特に専門的な事柄については、一定レベルを超えないと成立しない。

でも、それを職業にするというような特別な事情でないのなら、いろんな分野の知識をつまみ食いしてみる方が楽しい気がする。

とある知識が全く関係のなさそうな場面で役に立ったりすることもあるだろう。

それに気づくためにも、いつも両手に抱えている状態ではなくて、片手がぶらぶらしているくらいがちょうどいいのではないだろうか。

 

 

 

道端に何かが落ちていて、それが面白そうだと思ったら拾い上げられる。

それが私の「ゆたかさ」だと思う。

 

(2020年に書いていたnote(閉鎖済)より転載)