仕事しながら大学生をしてるので、忙しい中でうまいこと勉強を継続するコツみたいなのをついつい検索してしまう。
その中に「勉強時間を記録する」ことが挙げられている。
たしかに記録をとることの効果というのは多く語られている。
代表的なのは「レコーディングダイエット」だろうか。
また、難関資格の取得について語られるとき、よく必要学習時間が書かれていたりすることから、目標設定としても使われているのだろう。
私はこれまで勉強時間を記録したことがないし、おそらくこれからもしないと思う。
その理由について考えを巡らせた記録を残しておこうと思う。
正しく測れない気がする
自分の勉強姿勢を振り返った時に、どのタイミングで勉強開始とみなすのか、そして終了とみなすのかがすごく難しいと思った。
家でやるときは、デスクに向かって「よし、やるぞ!」と思った時がスタートなのでは?という意見もあるだろう。
しかし、私は課題の調べ物をするついでに思い出してチケット予約とかしてしまう人間なのだ。
その一瞬逸れた行動を「勉強時間」に組み込んでいいのだろうか?
さらに言えば「よし、やるぞ!」と思っていたくせに、数分後にテンションが下がっていることがある。
そうなると、とりあえず自分のご機嫌をとってパソコンに向かわせるためにYouTubeでBGMを探すなどすることになるのだが、これは「勉強時間」と言えるのだろうか。
また、集中できないので、とりあえずなんとなく手を動かしながら歌っていることもある。
集中すると自然と歌わなくなるので集中度合いのバロメータとしては優秀だ。
手を動かしてるので、先の2つよりはまだ「勉強時間」に入れていいような気もする。
ただ一般的な勉強観からすると著しく質が低い状態で遂行されているので、後から振り返った時に価値ある情報なんだろうかと途方に暮れる。
極め付けは、こんなことでうだうだ悩む性格なので、なんかの折に開始時間を控えなかっただけで記録をやめてしまうことが容易に想像できることだ。
本当に向いてないんだな、と思う。
客観的な数字じゃない
ここが体重計の数値を記録するレコーディングダイエットと大きく異なる点ではないだろうか。
前項と被るが、結局のところ勉強時間は測る本人の匙加減である。
ポモロードテクニックを利用した勉強であれば比較的計測しやすくはあるが、しっかり身についたのかどうかは、時間には現れない。
よくある難関資格の勉強時間もスタート時のスペックや算出根拠が明示されていない以上、信憑性に欠ける情報である。
意気込みとしてはいいが、目標にしてしまうとキツくなるのではないかと思う。
今の勉強範囲が広すぎる
大学の授業はとにかく幅が広い。
時には自分の学部学科を飛び越えて別の学部の授業を受けることもある。
この場合、科目ごとに分けて計測するか否かも考えなければならない。
スクーリングなど、あらかじめ時間が区切られているならいいが、通信学習ではAで行き詰まったから一旦Bを進める、といったことや、似た分野を同時進行した場合には分類すること自体もむずかしいこともある。
正直、とても面倒くさい。
まとめ
以上の理由から、私は勉強時間を記録しないことにしている。
勉強をはじめたいと思っても、続けられるかという観点で躊躇する人も多いと思う。
そんなとき、勉強時間の目安と掲げられたものを見て、背中を押されたのであればまだ良いが、諦める理由にしてしまったことはないだろうか。
または、勉強している誰かの「今日は○時間勉強した」という言葉に、そんなに時間をかけられないと負い目を感じることはないだろうか。
それは、すごくすごく、もったいない。
時間はとても大切なものだが、だからこそ曖昧な指標に惑わされないでほしいと思う。